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  • マツダの起死回生 〜倒れかけた自動車メーカーが世界で甦るまで〜


    はじめに:絶体絶命の危機からの挑戦

    [写真挿入:マツダ本社や創業期の広島工場]

    マツダという名前を聞くと、多くの人は「小さな自動車メーカー」「ロードスター」などを思い浮かべるかもしれません。しかし、マツダは一度、倒産寸前の危機に直面したことがあるのです。

    経営危機、円高、バブル崩壊……数々の困難を乗り越え、現在のマツダは「小規模でも独自性で世界に通用するメーカー」として評価されています。


    1. 広島から世界へ 〜創業とロータリーエンジンへの挑戦〜

    1-1. 創業期と自動車産業への挑戦

    [写真挿入:戦後の広島工場や初期の自動車]

    マツダは1920年、広島で 東洋コルク工業 として創業しました。初めはコルクや繊維製品を製造していましたが、戦後に自動車生産に進出。

    1960年代には独自技術として ロータリーエンジン の開発に成功します。小型で高回転型、スポーツカー向きの特性を持つこのエンジンは、世界の自動車メーカーとは一線を画す挑戦でした。


    1-2. ロータリーエンジンの栄光と課題

    [写真挿入:コスモスポーツやロータリーエンジン構造図]

    1970年、世界初のロータリー搭載量産車 コスモスポーツ を発売。スタイリッシュなボディと革新的なエンジンで注目を集めました。

    しかし、燃費の悪さや排ガス規制対応の難しさで販売台数は伸び悩み、経営リスクも伴いました。


    ロータリーエンジンの魅力

    • ピストンがないため振動が少ない
    • 高回転型でスポーティな走行感
    • 小型・軽量でデザインの自由度が高い

    2. 経営危機の時代(1980〜1990年代)

    2-1. バブル崩壊と円高

    [写真挿入:1990年代の円高グラフや工場写真]

    1980年代後半、日本はバブル景気に沸きましたが、1990年代に入ると景気は悪化。円高も重なり、マツダは輸出採算が悪化。小規模メーカーゆえ資金力が乏しく、赤字が続き、経営は崖っぷちに追い込まれました。


    2-2. フォードとの提携

    [写真挿入:マツダ車とフォード車の並んだ写真]

    1990年代、マツダはアメリカの フォード・モーター・カンパニー と資本・技術提携を結びます。

    • 資金援助で経営安定
    • グローバル販売ネットワークの活用
    • 技術交換による車両開発効率向上

    マツダとフォードの関係

    フォードはかつてマツダの株式の約33%を保有。そのため、海外ではマツダ車が「フォードブランド」として販売されることもありました。


    3. 起死回生の戦略

    3-1. スカイアクティブ技術と燃費革命

    [写真挿入:アクセラ・CX-5などスカイアクティブ搭載車]

    2000年代、マツダは独自技術 スカイアクティブ を投入。

    • エンジン:燃費と出力を両立
    • トランスミッション:効率的で運転しやすい
    • 車体構造:軽量化と安全性向上

    3-2. デザイン戦略「魂動デザイン(KODO Design)」

    [写真挿入:デザインスタジオや車の流線型の写真]

    「生命力を感じさせる」デザインで、世界で高評価。アクセラ、CX-5、ロードスターなど全モデルに反映されました。


    🖌 コラム③:魂動デザインとは?

    「車に命を宿す」というコンセプト。見た目だけでなく、走る楽しさを表現しています。


    3-3. 小型車ラインナップの充実

    [写真挿入:デミオ・アクセラ・CXシリーズの外観]

    • デミオ:小型で燃費良好
    • アクセラ:スポーティで世界向け
    • CXシリーズ:SUV市場に参入

    消費者ニーズに合わせた商品展開が、売上回復の鍵となりました。


    4. 復活とブランド再生

    4-1. MX-5(ロードスター)の継続的成功

    [写真挿入:MX-5ロードスターの走行シーン]

    1989年に登場したMX-5は世界的ヒット。軽量・オープン・手頃な価格でスポーツカーの楽しさを提供し、累計100万台以上を販売しました。


    4-2. 世界市場での評価

    [写真挿入:北米・欧州での販売風景]

    • 北米:SUV、MX-5でブランド確立
    • 欧州:デザインと走行性能で高評価
    • 日本:小型車の実用性とブランド価値回復

    MX-5が愛される理由

    • 運転の楽しさを重視
    • 軽量化による取り回しの良さ
    • モデルチェンジを繰り返しながらコンセプト維持

    5. 現在と未来

    5-1. 電動化とEV

    [写真挿入:MX-30 EVの写真]

    • MX-30 EV:都市向けコンパクトEV
    • 走りの楽しさと環境性能の両立

    5-2. 独自性を武器にした生き残り戦略

    • 小規模でも独自性で差別化
    • 技術力・デザインで世界で勝負
    • ブランドストーリーを重視

    マツダのEV戦略

    マツダEVは「走る楽しさ」を重視。他社EVが静かでスムーズな走りに偏る中、ドライバー体験にこだわるのが特徴です。


    まとめ:小さなメーカーの大きな挑戦

    マツダの物語は、単なる自動車メーカーの成功談ではありません。

    • 経営危機から復活した起死回生の歴史
    • 独自技術(ロータリー・スカイアクティブ)とデザイン(KODO)
    • 小型車、スポーツカー、SUVで世界で戦う戦略

    小さくても独自性を武器に世界で生き残ったマツダは、挑戦と革新の象徴です。

    そして未来も、「小さくても独自性で戦うメーカー」として、EV・電動化・次世代モビリティで挑戦を続けています。

  • フォードの歴史 〜クルマを“特別”から“当たり前”に変えた自動車メーカー〜


    はじめに:フォードという存在の意味

    いま私たちの暮らしに欠かせない「クルマ」。通勤や買い物、旅行など、日常生活のさまざまな場面で活躍しています。しかし、100年以上前の世界では、クルマは「ごく一部のお金持ちしか持てない高級品」でした。

    そんな状況をひっくり返し、クルマを「誰もが持てるもの」へと変えたのが、アメリカの フォード・モーター・カンパニー です。

    この記事では、フォードの誕生から現代の電気自動車までを時代ごとにたどり、その歴史の意味を考えていきます。


    1. 創業とヘンリー・フォードの理念(1903年〜)

    1-1. 農場の少年から発明家へ

    ヘンリー・フォードは1863年、ミシガン州の農家に生まれました。幼い頃から機械いじりが大好きで、時計や蒸気機関を分解しては仕組みを学びました。

    「もっと便利に、もっと安く、多くの人が使えるものをつくりたい」――これが彼の原点でした。


    1-2. フォード・モーター・カンパニーの誕生

    1903年、フォードは仲間と資金を集めて「フォード・モーター・カンパニー」を設立。わずか12人の出資者と28,000ドルの資本金からのスタートでした。

    フォードの理念は明快です。

    「クルマは富裕層の贅沢品ではなく、普通の人々の生活の道具であるべきだ」

    このシンプルな思想こそ、後の“自動車の大衆化”につながっていきます。


    ヘンリー・フォードの名言

    フォードは数々の名言を残しています。特に有名なのがこちら。

    • 「お客様はどんな色の車でも選べます。ただし、黒に限ります」

    これはT型フォードの効率的な生産を優先するため、黒一色に統一していた時代のユーモラスな表現です。


    2. T型フォードの大ヒット(1908〜1927年)

    2-1. 画期的な「T型フォード」

    1908年、ついに歴史を変える一台「T型フォード」が登場します。
    価格が安く、壊れにくく、誰でも運転できる――まさに大衆車の誕生でした。


    2-2. 世界初の流れ作業方式

    1913年、フォードは自動車工場に「流れ作業方式」を導入しました。

    • 組み立て時間:12時間以上 → 約1時間半に短縮
    • 車両価格:大幅に低下
    • 労働者の賃金:日給5ドル(当時の相場の2倍)に引き上げ

    結果としてT型は爆発的に普及し、最終的に1,500万台以上が生産されました。


    2-3. 社会の姿を変えたT型

    クルマが安く手に入るようになったことで、人々の生活は一変します。

    • 郊外に住んで都市に通勤するライフスタイルが生まれた
    • 遠出の旅行が可能になり、観光産業が拡大
    • ガソリンスタンドやモーテルが登場

    フォードはただの車ではなく、「社会の形そのもの」を変えたのです。


    世界初の「5ドル・デー」

    1914年、フォードは労働者の日給を5ドルに引き上げました。当時の相場の倍近い額です。これにより社員は安定して働けるようになり、なんと自分の会社の車を買えるようになったのです。
    「従業員を顧客にする」という発想も革新的でした。


    3. 世界進出とライバルとの競争(1920〜40年代)

    3-1. 海外展開

    1920年代、フォードはヨーロッパや南米に進出し、世界的な自動車メーカーへ成長していきます。

    3-2. ゼネラルモーターズとの戦い

    しかし、ゼネラルモーターズ(GM)が多様なデザインやカラーバリエーションを武器にシェアを拡大。フォードは「黒一色」主義を見直すことを迫られました。

    3-3. V8エンジンの登場

    1932年、フォードは安価でパワフルな「V8エンジン」を搭載した車を発売。アメリカの大衆文化に大きな影響を与えました。


    ギャングも愛したフォードV8

    1930年代、アメリカの犯罪者アル・カポネやバンクロバーのボニー&クライドも、逃走用にフォードV8を愛用していたと伝えられています。パワフルで速い車は、皮肉にも「犯罪の象徴」にもなってしまったのです。


    4. 戦後の黄金期とマスタングの誕生(1950〜70年代)

    4-1. 豊かなアメリカと車社会

    戦後のアメリカは好景気に沸き、家族で車を持つのが当たり前の時代になりました。

    4-2. マスタングの登場

    1964年、フォードは世界を驚かせます。ニューヨーク万博で発表された「マスタング」は、若者でも買える手頃な価格のスポーツカーでした。

    そのスタイリッシュさと手頃さで大ヒット。発売からわずか2年で100万台を売り上げ、“ポニーカー”という新しいジャンルをつくりました。

    4-3. ピックアップの定番「Fシリーズ」

    同じ頃に人気を博したのが「Fシリーズ」ピックアップ。働く車として、またレジャー用としても愛され、今なおアメリカのベストセラーです。


    映画に生きるマスタング

    マスタングは数々の映画に登場します。代表例はスティーブ・マックイーン主演の『ブリット』(1968年)。サンフランシスコの坂道を疾走するカーチェイスは、今も「映画史上最高のカーアクション」と呼ばれています。


    5. 国際競争と経営の試練(1980〜90年代)

    5-1. 日本・欧州メーカーの台頭

    オイルショック以降、燃費性能が重視されるようになり、日本車や欧州車がアメリカ市場で強さを見せます。フォードは大型車中心の戦略で苦戦しました。

    5-2. 提携と再建

    マツダやボルボとの提携を通じて、小型車や技術開発を進めました。「フォード・プローブ」などはマツダの技術を活用した代表例です。


    フォードと日本の関係

    フォードはかつてマツダの筆頭株主でした。1980年代から2000年代にかけて、マツダの車が「フォードブランド」として販売されることもありました。日本の技術がアメリカ市場を支えた時代です。


    6. 新世紀のフォードと未来への挑戦(2000年代〜現在)

    6-1. 電動化へのシフト

    地球環境への関心が高まる中、フォードもEV開発を加速。伝統的な車名を冠した「マスタング Mach-E」や「F-150 Lightning」を発売し、未来への意欲を示しています。

    6-2. 自動運転とモビリティサービス

    フォードは自動運転車のテストや、カーシェア・配車サービスへの投資も進めています。「車を売る会社」から「移動サービスを提供する会社」へと変わろうとしているのです。


    F-150 Lightningの意外な機能

    F-150 Lightningは「家庭用発電機」としても使えます。停電時には車のバッテリーから家に電力を供給できるのです。災害大国アメリカでは大きな安心につながっています。


    まとめ:フォードが歩んだ革新の道

    フォードの歴史は、ただの企業史ではありません。

    • T型フォード → 車を大衆化し、社会を変えた
    • マスタング → 車を文化のアイコンにした
    • Fシリーズ → アメリカの暮らしを支え続けた
    • EV・自動運転 → 未来に挑み続ける

    「誰もがクルマを持てるようにする」という理念から始まった物語は、100年以上経った今も続いています。
    フォードはこれからも、“人々の生活を動かす存在”であり続けるでしょう。

  • Full Self-Driving(FSD)とは?テスラが描く自動運転の最前線

    1. 自動運転の位置づけ

    自動運転は、SAE(米国自動車技術者協会)が定めるレベルで整理されます。

    レベル2(部分自動化):車線維持やACCを組み合わせた運転支援。監督はドライバー。

    レベル4(高度自動化):特定条件下では完全自動。ドライバー不要。

    レベル5(完全自動化):あらゆる条件で人間不要。

    テスラの「Full Self-Driving(FSD)」は現状レベル2相当ですが、レベル4/5を目標としています。

    ※自動運転レベルの比較イメージ

    レベル0 ─ 手動運転
    レベル1 ─ アシスト(ACCのみ)
    レベル2 ─ 部分自動化(FSD現在地)
    レベル3 ─ 条件付き自動化
    レベル4 ─ 高度自動化(Waymoなど)
    レベル5 ─ 完全自動化(理想形)

    1. FSDの技術的基盤
      センシング技術

    テスラ:カメラ主体(Tesla Vision)、LIDAR不使用。

    目的:人間の目と同じ原理で世界を認識し、低コストで量産可能にする。

    ※センサー比較

    方式 使用例 特徴 コスト 課題
    カメラ主体 Tesla 人間に近い認識、低コスト ◎ 悪天候に弱い
    LIDAR主体 Waymo/Cruise 高精度3Dマップ × 高コスト、普及困難
    レーダー併用 一部メーカー 夜間・霧に強い △ 解像度が低い
    AI・ニューラルネットワーク

    世界中のテスラ車からデータ収集。

    「Dojo」スーパーコンピュータで学習。

    認識(Perception)→経路計画(Planning)→制御(Control)をエンドツーエンドNNで統合。

    ※FSDのAIモジュール構成イメージ

    カメラ入力

    Perception(物体認識:歩行者・標識・信号)

    Planning(経路生成:右折、追い越し)

    Control(ハンドル・アクセル・ブレーキ制御)

    車両動作

    1. 他社アプローチとの比較

    Waymo / Cruise:LIDAR+HDマップ依存。都市限定でレベル4実用化。

    Tesla:カメラのみ。世界規模でスケール可能。

    ※アプローチの違い

    Waymo方式 → 高精度地図に依存(都市限定)
    Tesla方式 → 学習データで補完(どこでも適応)

    1. 現状と課題

    規制面:米国一部州で提供、日本・欧州は未承認。

    技術課題:

    雨・雪・夜間での認識精度低下。

    「長尾リスク(例外的ケース)」処理の難しさ。

    認識エラーの低減。

    ※典型的な失敗例

    雨でレーンマーカー消失 → 認識困難。

    停車中の消防車を誤認識 → 追突のリスク。

    1. 将来的な展望

    Dojoの稼働による学習速度の向上。

    特定条件下でのレベル4実現。

    MaaSやロボタクシー事業展開の可能性。

    1. 批判と議論

    「Full Self-Driving」というネーミングは過大表現では?

    規制当局との摩擦(NHTSAによる監視強化)。

    倫理的課題:事故時の判断基準(トロッコ問題)。

    1. まとめ

    テスラのFSDは「人間の運転を模倣するAI」から「独自の運転ロジックを持つAI」へ進化しようとしています。
    ただし、完全自動運転の実現には技術だけでなく法規制、社会的合意、倫理的議論が欠かせません。

    あなたは、AIに命を預けられる日が来ると信じますか?

  • 自動車業界で深刻化する人手不足

    マジで人がいないですw

    自動車は常に動いてます。当然いつ故障してもおかしくはありません。

    みなさんが運行中に故障したらどうしますか?

    JAFか任意保険についてくるロードサービスへ連絡する。

    気合入ってる方は自走でディーラー、町工場へ自走する。

    いずれも受け入れ先は車屋さんになります。

    いざお車が到着するとスタッフさんからこんなこと言われます。

    「予約以外の方はちょっと、、、」

    そもそもお車受け入れすらしてもらえないところもあったりします。

    自分が若い頃なんかだと信じられない接客態度です。

    しかしそんな背景には人手不足の問題があったのです!

    そもそも自動車業界のどこで人手不足が起きてるのか!?

    ・製造現場:熟練工の高齢化、若手不足

    ・整備現場:資格取得のハードルと待遇の課題で離職が発生!

    ※上位資格取得後の報酬は適正なんだろうか?

    報酬そんな変わらないなら深夜残業後無理して勉強しなくてもいいかも、、、

    ・販売・営業:対面店舗の人手が不足し、オンライン化が進む

    データで見る整備士不足

    ・整備要員:約40.2万人

    ・整備士(国家資格保有):約33.3万人

    ・平均年齢:約46〜47歳

    ・整備工場での人手不足実感:約半数

    ・整備士の有効求人倍率:約5倍!!!

    最近の求人を見ると、未経験者募集をされてる会社が増えて来てると思います。

    実際には経験者の方や国家資格保有の方はとくに町工場への就職は奇跡的な感じです!

    さすが「整備士の有効求人倍率:約5倍!!!」です!

    未経験者採用で起きる負のスパイラル!

    1 未経験者採用

    2 経験者は通常の業務に加え人材教育と管理業務が上乗せされる

    3 経験者の労働生産力は低下し離職率が増加する。

    ポイント:未経験者への採用にともない、会社側が人材教育できる体制が本当にあるかの確認が大事!

    なぜ人手不足が続くのか

    ・少子高齢化で若年層の供給が減る

    ・給与や働き方など労働環境の課題

    ・EVや電子制御など技術変化に対応する人材が不足

    ※自動車整備専門学校入学者数の推移

    整備士を志す若者がそもそも減少しております。

    ※自動車整備士等の平均年齢の推移

    ・自動車整備士等の平均年齢は、一貫して上昇傾向(年平均約  0.35歳増加)にある。

    おっさんばっかになります。

    よくない現象です。

    今後のブログ活動を通じ思案していこうと思います。

    お給料と働き方ついては会社側がきちんと取り組んでいく必要があります。

    結論、離職率へとつながる大切な要素でもあると思います。

    自分のブログなので好き勝手書いちゃいますが、お給料は「インセンティブ制」的なのを設置して他社様との差別化なんか図れるといいかなと思います。

    基本、整備士のお給料て安価なイメージが世の中的にもあると思いますし、実際に業務されてる方々はおそらく皆さんが想像するよりも過酷だったりします。マジです!

    なのでお給料が多いほうがいいと思います!

    働き方は業務時間の事だと思うのですが、これはぶっちゃけどこもブラックですよね!

    9時出社で翌2時退社てとこも聞きましたwww

    これはですねー

    入庫台数とメカニックの数があってないからなんですねー

    A社がそんなかんじなんでB社はどうでしょう、、、

    当然一緒になりますよねー

    受け入れ台数に制限がかかると他社も当然圧迫されますw

    これもまたよくない現象です。

    皆様への影響

    整備士不足はユーザーにも直結します。具体的には、新車納期の長期化、整備・車検の待ち時間増加、整備費用・中古車価格の上昇などが想定されます。

    対策と取り組み

    ・待遇改善・資格取得支援

    ・女性や外国人の活用、柔軟な働き方の導入

    ・ロボット・自動化、DXによる効率化

    ・新技術対応のための研修・教育強化

    まとめ

    自動車業界の人手不足は、本当に待ったなしの状況です。製造現場も整備現場も販売現場も、どこもかしこも人が足りない。特に整備士不足は深刻で、納期の遅れや車検の待ち時間増加、さらには整備費用や中古車価格の上昇と、ユーザーである私たちの生活に直結しています。

    原因は少子高齢化やブラックな労働環境、新技術に追いつける人材不足など多岐にわたりますが、結局のところ「この業界で働きたい!」と思える環境をつくれていないことが最大の問題です。

    だからこそ、業界全体で本気の改革が必要です。
    ✅ 給料を上げる!過酷な仕事に正当な報酬を!
    ✅ 働き方を変える!ブラック体質はもう終わり!
    ✅ 教育や支援を整える!若者が夢を持って飛び込める業界に!

    僕は「給料アップ」が一番のカギだと考えています。整備士は社会のインフラを守る存在です。なのに“きつい・安い・休めない”なんてイメージのままでは、誰も未来を託そうとは思えないでしょう。

    自動車は社会を動かす血液のような存在です。その血管を守る整備士がいなくなったら、私たちの暮らしはどうなるのでしょうか?
    そして――あなたは、この現実をどう感じますか?

    💬 ぜひ皆さんのご意見やご感想をコメントで教えてください!一緒にこの問題を考えていけたら嬉しいです。

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